私は戦後生まれで当然戦争体験もないが、祖母や父母、叔父・おばから戦争の体験をよく聞いてきた。
しかし、15年戦争a(アジア太平洋戦争・第2次世界大戦)について知っていても、ベトナム戦争のときに今ほど「戦争反対」を訴えたかというとそうでもなかった。
ベトナムに平和を市民連合、ベ平連の活動を遠巻きに見ていたが、一方で教育学園闘争には感じるものがあった。高校の頃からデモに参加していて、大学受験勉強は3年の夏が終わってから。
そんな私が今、何故反戦を唱えるか?なぜ沖縄問題を第一に戦後70年問題を考えるのか?
そのきっかけはある数分の戦争報道映像だった。
テレビニュースだったが、パレスチナで小さな女の子ががれきの中を戦車に追われて逃げ惑い、やっと建物の中に逃げ込み怯えた顔をしている映像だ。
そのおんなの子が自分の子どもそっくり、
少しカールした黒髪でキリッとしたまゆ。ほりの深い顔立ち。
パレスチナや南米のニュースにはいつも我が子によく似た子供が登場するのだが、
戦車に怯えて逃げ惑い、肩で息をするその少女はまさに我が子だった。その映像を見た瞬間に戦争・特に地上戦の怖さ、街が戦場になることの怖さを追体験した気がした。
この子を我が子と感じた瞬間に沖縄戦の悲惨さへ、体験しているわけだはないが、思いがいった。
戦争報道の意味はここにあると思う。
映像のちからだと思う。
戦争の理不尽さ、悲惨さを市民・民衆・一般人の立場になって伝えること。
湾岸戦争について米国当局からの配信をワシントン支局で伝えるというNHKの報道体制には反吐が出たものだ。
戦争ジャーナリストの方々、無事を祈りつつ、その仕事の意義を申し述べたい。