なんてことでしょう。
子どもたちが、いじめを苦に、また、つらい目にあうことへの不当さを訴えて自ら死を選んでいる。
そんな中、野党4党が欠席する中、衆議院教育基本法特別委員会で法案が通過した。
衆院での採決の後、参院特別委員会の設置と審議に本会議採決となると、戦後60年、問題といわれつつも日本社会の根底を支えてきた教育の基本を支えてきた基本法が変わるのだ。
日本の公教育は決してひどいものではない。みんなで同じものを同じように学ぶことができるなんてどんなによいことか、世界を見れば分るじゃないか。そして、それぞれの進路を選択し、さらに専門性を深めることができる、そのよさをなぜ守ろうとしないのだろうか。問題点は少し制度を変えたりしていけば改良される。競争主義とか、点数主義とかの問題は確かにあった。画一的ともいわれた。でも、義務教育や高等教育の内容はどれも今の世界や時代や地球や人間の真実を知るものであり、それらを基礎に自己判断力を身につけ、社会へと巣立っていくものではなかったか。時間と予算と人材と、それこそそういうところに画一的な判断をせず、現場の人間を大切にしていけば学校だってもっとよくなるし、「学校だけじゃない」自分で学ぶとかがもっと出てくれば、公教育の裾野の広がったんだ。
おかしいのは学校をおかしくした画一的な管理主義だ。それは、やはり、教育委員会の通達の強制や、職員会議での発言封じだ。
教育基本法が変われば、学校がかわり、今度設置された「教育の目的」プラス「教育の目標」
に細かく書かれた「国を愛する態度」をはぐくむとかでとにかく「態度」が重視される学校になる。
そんなわけで、これからは政府の学校ではないホームスクールとか私学が人間の成長になくてはならないものになる。
公教育の目的は元々「いわれたことをする人間を育てるものだった」などといってはおしまいだ。
狛江でもこのおばあががんばるぞ!
今、絵本や児童書がたくさんある。
街角図書館を開きたいと思っている。
2006.10撮影、狛江市緑野小学校新校舎の中庭の空、デジカメをたてにしてとった。
なおせない・・・・