狛江市の小中学校の入学式が行われた。
とりわけ小学一年生は連休までは、徐々に学校生活に慣れるために
最初は午前中で下校する。
地域の見守りサポートにもお世話になると思う。
子どもを狙った犯罪は変則的な下校のときに起こる。
学校の都合で(たとえば就学時検診など)早く下校させられて被害に会う子どももいる。
とにかく、決めたようにやるという原則を日本はちょっとしたことで変える。
そいういうことをやめるだけで、無駄が省けるだけでなく、とっぴょうしもない事故がおきる確率も減る。
生徒を早く返す、それって、学校側の都合じゃないか、自分たちは子供をある時間学校で過ごさせる義務があるということを常に考えていて欲しい。
第三中学校の入学式。
先生が全員壇上に上がらされて、校長から紹介された。
意味もないことだ。
何の意味もないことをやる。
理論性のない学校は後退する。
日の丸君が代の学校行事への導入強制は、行事の儀式化として行われてきた。
その象徴的なことが、日の丸への敬礼。
そして、地域の来賓も校長もそろってそれをやる。
校長はしましまのモーニングまで着るようになった。
文科省へのゴマすりでは教育はできない。
伝統というが、大きな歴史の流れは、今、市民社会をつくろうとしている時代だ。
市民社会は西洋も東洋もない、歴史の流れだ。
学校はご存知のようにギリシャ時代のスコーレが元。
奴隷がいた時代のスコーレを
みんなの学校にするというのが
今の学校の意味合いだ。
日の丸君が代にたいして「不起立」を貫いた教師への処分が3月31日発表された。
根津公子さんへは免職処分かといわれていた。
しかし、6ヶ月の停職。
これも大変な処分だ。
卒業式は日の丸君が代終了後に入れていただいたが、入学式は初めから参加した。
一応、免職処分が出なかったから。
最近では、議員に入学式と卒業式は招待状を出さないそうだ。
議会事務局から日程が知らされるだけ。
招待して来た議員が着席などして、トラぶったらいやなのだ。
トラぶるようなこともしたくない。
都立学校には都教委から帝都崩壊のヒロインのような風体の監視が毎年来ていた。
一体この国はなにに税金を使うのか。
財政民主主義はほんと必要だ。
タイムイズマネーのフランクリンの思想でも読み直し、
すぐ学校の都合で下校時間を変えるような教育を改めることが先だ。
非論理的な意味のない稚拙なことはやらないでほしい。
教師を紹介するなど、教師は紹介されるような仕事ではない。
いいかえれば、政治家ではない。
一時も持ち場を離れてはいけないのだ。
なにか特別なこと意外は、生徒たちの面前に出る必要はない。
保護者に大切なクルーである教師をさらし者にした校長は求心力を失う。