秋葉原での通り魔事件の報道が多い。
混雑した歩行者天国での犯行で、
現場に居合わせた人はどうしようもなかったのではないだろうか?
雑踏の中で携帯電話を売るアルバイト中の被害には雇用者責任など
どうなるのか?
深夜の弁当屋のアルバイトなども危険と隣りあわせなのに、若い女の子が意外と働いている。
場合によっては接客業はもっとも危険な仕事なのかもしれない。
その認識で雇用者の責任を考えるべきだ。
沖縄県議選で与野党が逆転し、良かったと思っている。
後期高齢者のことが響いたと町村官房長官の談話だ。
しかし、テレビニュースの功罪ともいえるが、
後期高齢者の保険料への様々な減額処置が報道されているが、
そのほとんどが、与党自民党がただ案として語っているに過ぎないことなのに、
いかにも制度の補完が考えられているような報道のされかた。
また、
NHKの解説ともあろうものが、
現役世代の負担を「若者の負担」と表現し、
図解もしている。
女性の解説委員だったが、そこまでして偉くなりたいか、
権力のいうがままの報道をしたいのか
といいたい。
すなわち、高齢者の医療費を若者が多く負担しているから
後期高齢者医療制度も仕方がないと誘導していた。
解説委員やコメンテイターも言いたくないことを言った時は、
目を見開き、口を必要以上に結び、挑戦的な顔になるので、見て欲しい。
人間を長くやっていると、人が何を考えているか分るのだ。
たとえテレビを通してもわかるということだ。
さて、自民公明が危機感を持っていることは容易に想像できる。
その危機感を市民にさとられれば自公は負けるだろうし、
さりとて、政策を通して市民に訴える集団ではないことは自明のこと。
問題は現職も政権末期、自公も政権末期。両雄が政権末期だということだ。
政策で争えるのは、現職と新人の伊藤陣営だろう。
世間が世知辛いから新人に風が吹きにくい。
しかし、現職は長くやっても改革が出来なかったことは事実で、
市役所の停滞も問題だ。
平和護憲で市民が信頼しているとしても、
広がりは感じられない。誰が市長でも闘っていかなくてはならないことは変わらない。
その戦いは困難だから、自治体の首長が「革新」で、話さなくても分ってくれるように感じるのはほんとうにうれしいことなのは良く分る。
「革新」「平和」「護憲」の象徴のような存在かもしれない。
しかし、現職が働くものや市民の何を守ってくれるのか?
守っていくのは市民であり、労働者自身であることを忘れてはならない。
しかも、政権交代しても、パフォーマンスをされて不愉快になるかもしれない。
これは現職が初当選したときもそうだったろう。
権力とはそうで、自分たちがどこまでも支えない限り思うようにはならないだろうし、
支え手が寄り集まりであればあるほど、本人が経験がなければないほど困難だ。
せめて市議補選にかけたい。
市原広子は前市議会議員の池座俊子さんの応援を
5月7日に決めた。
議会改革のために共に協力することで合意している。