「平和憲法を広める狛江連絡会」と「こまえ九条の会」で
ある会員のコスタリカ旅行の報告会をすることになり、
第一回のつどい実行委員会に参加してきました。
だれも参加できる事務局がいなかったからですが、
以前、「みんなの土手の会」で参加したことがあるのですが、
そのころより、参加団体も増えていて、予算もないのに、みんなよく頑張っていると思います。
多くは活動発表になっているから、それほど予算も使わないように工夫しているのだと思います。
第一回の実行委員会は、市職員が音頭を取って交通整理をするという感じです。
この「交通整理」が公民館の公民館たる現実です。
あとは、委員長がきまったので、委員長・副委員長(6人くらい決まりました)・会計が中心になって運営していきます。
もし、第一回の交通整理がなかったらどうなっているのか想像してみました。
なんか昔からの有力者集団が幅を利かせるのでしょうか?
あるいは、あらかじめ根まわしがされていて、市民活動家が幅を利かせる実行委員会になるのでしょうか。
どうなるかは分りません。
でも、市の職員が始めは交通整理をすることで、だれでも発言できる雰囲気が作られていくことは事実です。
公民館はいらないという意見もあります。
政党の党員で譲れないことでは牙を向くときもあるだろう市民が、
穏やかに譲り合っている擬似共同体としての公民館。
不思議なパワーオブバランスのもとに、宙に浮いた市民社会。
この空気を体験できるだけで、日本の地域社会はゆれ戻しが可能なのだろうといえます。
おもうに、神のまえでは迷える子羊というキリスト教社会のアメリカやヨーロッパの
教会のような役割が公民館にはあるようです。