講演する福島浩彦(前我孫子市長)(4/28狛江市西河原公民館にて)
この間、市民と議会が一緒に議会改革を目指そう!と
狛江市政改革研究会(私も世話人)で
前我孫子市長の福島浩彦さんの講演会を企画していました。
また、議会に「議会改革の特別委員会設置を!」という陳情を提出し、署名運動もしてきました。
狛江駅頭でチラシ配りと署名集め
事前に駅頭でチラシを配ったりしましたが、当日(4月28日)は35名の参加。
議員の参加は私を入れて5人。
三多摩議員ンネットワークの他市の議員も二人参加。
議会基本条例の議論に入ったので・・と参加してくれました。
28日はサンフランシスコ講和条約締結の61周年とかで「主権回復の日」の祝典があり、
それに抗議する集会が開催され、そっちに行くからという市民・議員も多かったようで、
もちろん、政府主催に行く方もいただろうけど、もう少し議員の参加がほしかったです。
福島浩彦さんのお話で最も印象が強かったのは、
「なぜ、福島さんのような市長さんが出てくることになったのかその辺のお話を・・」という会場からの質問に答えてのもの。
「我孫子市は手賀沼があり、昔はとても自然豊かなところだったが、高度成長の影響もあり水質ワースト1を16年も記録してきた。それを何とかしようという住民運動があったまち。いわば琵琶湖を抱える滋賀県がせっけん運動などがあったように規模小さいがそういった運動があった。そういう中で議員になり、さまざまな提言をしてきた。駅前に複合施設を90億もかけて作ると言うのでまた、市民が反対運動をした。その中から市長選に出て当選した。その施設は市長にいなってから民間も入れて19億で作った。90億で作っていたら今頃我孫子市の財政は非常に悪くなっていただろう」
この話を聞いて、狛江も多摩川の景観を保全しようという運動が20年前にあり、駅前開発や地下駐車場作りへの反対運動などがあった。市民が知らないところで今ある自然を壊して大型建設工事が決まっていくことへの疑問「もううんざりの保守市政を変えよう!」という住民運動となっていき、バカラ賭博で姿を消した元市長の辞任という好機にのって矢野市政を誕生させたところは、狛江と我孫子は似ているが、
その後の運営はちょっと違ったんあだということが分かった。
福島さんは本当に待機児ゼロを目指して、本当に一人の待機児も出さなかったそうです!!!
「全部認可保育園に入れた。そのために民間保育園を10園増やした。
民間保育園を導入するのに最初は反対があった。
デモ保護者と徹底的に話した。
まず、公立保育園よりいい民間保育園を作ろうと合意した。
業者選定の委託仕様書も利用者が入って作った。
その審議会などはすべて市民主導でやった。
今でも当時の審議会に入っていた保護者の方たちとあうと、よい保育園になってきていますという言葉が返ってくる。今度「同窓会」しようということなっている。そういう市民の方たちは、子どもが卒園してもいろいろな場所で市政やまちづくりに関わってくれている。そういうことが大事だと思う。」
どうして、矢野市政は違っちゃたのでしょうか???
ニセコ町長の逢坂さんもニセコのまちづくり条例を先駆けてつくり
その時「こどもにも考えを聞きたい。子どもの意見を大切にするまちだということを思い出してくれて、
将来、ニセコ町に帰ろうと思ってくれたらなにより」と表明していらしたということを公民館「自治基本条例ってなあに?」という連続講座で講師から伺った。
さて肝心の議会改革に関しては、市民と議会と行政の関係について
「市民が決定して行政にやらせる」のが基本だから、その意味で議会と市民がもっと近くなり、
市民の決定を体現するのが議会。
公式な議会と市民の議論や議員同士の議論が活発になるようにする。
栗山町議会の改革では、議会には、「一般議会」というのがあり、市民と議員が徹底的に話議論する場がある。
そうすれば、市民はまず市長のところよりも議会に来るようになる。
議会と市長の権威?が逆転するはず。
情報は市長に集まるように現在見えているが、実は市長のところに集まっている情報など大したものではない。20数名いる議会こそ様々な情報が集まるはずだ。そのマットも大事な情報は市民が何を考えているかという情報だ。」
などなど。
受付をしながら聞いていたのだが、議事録も作成するのでお分けすることになっている。