小田急線、和泉多摩川駅を降りて、線路の側道を登戸方面に歩くと、5分ほどで多摩川の堤防に出る。
堤防上の土手を下流にまた6~7分歩くと、堤防決壊の地、二ヶ領堰のあたり。
旧建設省の責任を問うた住民訴訟は
最高裁まで争い、住民の勝利に終わり、水害のことを後世に語り継ぐことも和解案件に加えられたことで、河川敷の「高水敷」には記念碑を設置、洪水の記念公園となっている。
新しい2ヶ領宿河原堰の完成が1998年、洪水の碑の完成が1999年3月。
その年、春だったか忘れたが、堰の完成祝と洪水の碑除幕式を同時に祝うお祭りを河川敷で大々的に開催した。
実行委員会を作ってやったなあと思い出していた。
自由広場では、お茶席も設えられ、野点に市長はじめ建設省の京浜河川事務所長などもいらしてくれた。
そんなことを考えながらも、堤防決壊から40年。
異常気象でゲリラ豪雨や竜巻がどんなふうに襲ってくるかわからない昨今、狛江市水防訓練に参加した。
参加者は少ないように感じた。
防犯協会、防災会の高齢化も目立つが、議員も全員参加でない。
開始時間が当初9時30分と広報されていたのに、9時からとなり、
消防団の任命式同様、事案や予定の変更が目立つ。
また、今年の防災訓練は8月30日とのこと。
これとて、8月は暑くて参加市民も熱中症などの恐れで大変だから、10月に安心安全の日を決めて、その前後に中央防災訓練を行うと議会答弁したばかりの日程変更だ。
自衛隊や警察とのスケジュールのすり合わせが大変なのだろう。
今日の水防訓練にも自衛隊が参加していた。
いつから災害救助隊になったのか?と勘違いしそうだ。
風水害は局地的だから良いが、直下型地震のときに、
警察や自衛隊がどれほどのことをしてくれるのか、
全く明確でないのに、協定を結んだと自慢する市長のお脳の程度やいかに。
警察や自衛隊も公務員。
大規模震災時の行動計画やマニュアルを市民に公表すべきである。
どこぞの自治体の首長が好みで協定を結んだら、ほかの自治体よりたくさん何かしてくれるのか?!
2月の豪雪が2週続いたとき、雪かきでさえ、自衛隊がまんべんなく出動できたのかというと、
桧原村は、2人が1回きてくれただけ。
知り合いは、3日かけて、県道まで人一人通れる幅の雪かきをしたそうだ。
9時から11時までの2時間の水防訓練、そのあと、食事の接待、午後からは別のスケジュール・・。
だから9時からの開始に変更したのではないか?と勘ぐってしまう。
様々に工夫した越水対策など訓練は有意義ね面ももちろんあったが、
市の対応が不明で理解できないことが多い不愉快な水防訓練だった。
またこのほど与党離脱したと聞く会派など、
M議員の辞職を求める決議に退席した議員はみな欠席だった。