八月のはじめ、市が障害者施設建設のために申請していた補助金が降りないことが明らかになった。
和泉多摩川駅とパークハイム狛江というマンションの間に広がる約3000平米の土地の一部を使って建設予定?であったものだ。
予定と書いたが、その表現では正確ではない。市はその土地に建てる際に近隣対策としてマンション管理組合の理事長に市の建設計画を伝え理解を求め、数ヶ月して市民説明会を3回開催。地域住民の反対にあう。
地域住民はその場所をこれまでどおりの広場にしておいて欲しいという。
署名も回ったようだ。
しかし、市は住民は障害者差別意識があって反対していると公式に発言。告訴も辞さないという。障害者差別禁止法に抵触するというのだ。その時点ではまだ施行されていなかった。
「ちょっと待ってよ」と関係書類を読むとどう見てもマンション住民の居住の権利・財産権の問題に読める。
それでその旨を3月の予算委員会で指摘したが、市も市長も私の主張を妄想・憶測と決め付けた。
そして、いつの間にか、「反対があるなら進めない」と言っていた市長は建設のための補助金を申請してしまう。
そこで、管理組合は総会で八割以上の賛成を得て、市長を相手に告訴に踏み切った。4月の末のことだ。
そして7月、補助金の審査結果が出る頃、どうやら出ないらしいという報告。そして、ダメだったらしいとはっきりしたのが8月10日。
理由は裁判があるからのようだ。
というと、裁判を起こしている地域住民のせいで障害者施設の建設が遅れたとお怒りの方が出てきそうだが、実は、地域住民は狛江市政の被害者。
二八年前に、和泉多摩川駅前環境整備計画なる事業計画用地として、マンションの敷地を狛江市に寄付。寄付してしまうと建築確認をとった時の敷地面積より少なくなってしまうので、地震の時など再建ができなくなってしまうのに寄付をした背景には、駅前広場を作れば建ぺい率や容積率がその時より緩和されるので、土地を寄付しても十分同じ規模のマンソンが再建できるということがあった。
しかし、バブルがはじけ、小田急線の複々線高架化工事が狛江の次に和泉多摩川駅に来る頃には、石井三雄市長が賭博で失職。事業を勧めていた榊原助役もともに失職してしまい、その広場計画のことは矢野市長に引き継がれずに、30年近い時間が経過したのだ。
だから、事業計画用地として寄付したのに、市が計画を不履行なのだから、一旦贈与したが返して欲しいという訴訟を起こしたのだ。
焦点は
1、広場計画が三〇年前にあったのかどうか?
2、何故市はその計画事業をしなかったのか?
3、訴訟を起こす権利が管理組合にあるのか(市は開発業者の三井不動産から計画用地として寄付を受けて いるので、管理組合にその権利があるかどうか)
1の答え。
当時、もともと開発公園として6%の土地を開発業者は提供していた。八千代信用金庫側の三角の土地。その土地をそのまま公園にしておけば良いものを、その八千代信用金庫(現在の八千代銀行)側の公園を代替え地として、堀田チキンという鳥屋さんなどが商売をしていた駅前の一等地になるであろう土地に立ち退き買収を仕掛けて九億もかけて約1000平米の土地を市のものとしている。坪三〇〇万である。
駅前の空間1000平米を作るために九億もかけた。残りの2000平米をパークハイム狛江側から提供してもらい、約3000平米の空間を紡ぎ出したと言ってよい。
議会では当時「広場を作りたかった」と担当部長が答弁している。また石井元市長は「買収は強引すぎた」と反省の弁を述べたという。
その7年後に賭博で失職。事情に通じ、その責任を負っている榊原助役も失職。
なぜ、矢野市長に引き継がなかったのか?
それは、共産党市政を一年か二年で終わらせるつもりだったからだろう。
ここからは推測だ。
執拗に矢野市政に対して攻撃をしていた。矢野裕市長と業者の癒着があったと議会で手紙が読み上げられ、調査特別委員会が設置され一年活動するも何も出てこないで解散。
その間も予算を通さない議会野党(多数野党)。
しかし、矢野市政を支持する市民が予算通せという署名運動を展開。
自民党も根負けしてしまう。
4年後の選挙も矢野市長の勝利。
その後、自民党・公明党は実質与党化していくのだが、
最初の「市役所に赤旗が立っては大変だ!」との矢野降ろせ作戦が失敗し、榊原助役の市政返り咲き・和泉多摩川駅周辺環境整備計画策定への執念は胡散霧消したのではなかろうか?
そうでなければ、開発業者と市の覚書に2回、本契約書にも「和泉多摩川駅周辺環境整備計画事業用地として寄付する」と繰り返し繰り返し書かれており、何点かにわたって契約変更されても、その文言は最後まで消えていないのだ。
ということは、土地の寄付が駅前の広場計画用地としてされたことだけは、最後まで変更しないよという寄付者である三井不動産の意志の表れであり、市もそのつもりだったということだ。
今回、この地に約束された広場計画を無視して、建物(障害者支援施設)を建てようとして、反対されると、市は障害者差別から反対していると言いはった。
しかし、補助金申請するも通らなかった。
このことは何を意味しているのか。
私の言っていたことが妄想や想像であるのか?市役所は「証拠がない」と言い張って攻撃してきた。
しかし、書類を読めば、何が変更され、何が変更されずに最後まで残っているのかで、大切なもの、メルクマールは何かが読み取れる。
証拠とかそういうことではない。
一体書類を読んだのか?!と言いたくなるのはここである。
書類も読まずに、条例も読まずに仕事をしていると私が言うと、役所の職員はそのことを「失礼だ」という。
理解していないのだから読んでいないのと同じ。
条例の逐条解説も読まずに仕事を始めて、問題が起きてから読み返しても、自分の失敗を補うような読み方しかできない。目が曇ってしまうのだ。
書類を読んでなんぼの世界とまでは言わない。
しかし、一人ぐらい弁護士や検事のように書類を読み込める人材がいないと、トラブル続きになるだろう。
昨年の市民センターの改修工事をめぐって七人の職員が市民の前に頭を下げて謝罪した。
私も改修説明会には七回ぐらい参加して市民の意見を聞き、担当職員には「市民側の意見を伝えて計画を一旦止めなさい、応援するから」と何度も言った。
ポカポカ広場の障害者施設建設をめぐって住民と対立し、裁判まで起こされてしまった。
証拠がない証拠がないと言い続けて、補助金は却下されてしまった。
和泉多摩川緑地都立公園化構想素案の発表においても、地元住民に事前に相談することなく発表し、トラブル説明会となってしまった。