元和泉2・3丁目は戦中に防空空地、戦後は「緑地」と都市計画決定されている。
しかし、緑地指定が則、公園などの事業化につながるわけではない。
とりわけ、この土地は「将来管理者」=「事業をする主体」がはっきりしていない状態だという。
であるから、緑地指定されているものの、誰がどんな事業をするのかが未定であるので、限りなく「普通の土地」であり、狛江市がその地に西河原公園や元和泉公園や田中の池公園や西河原自然公園や民家園やら元和泉テニスコートやらを買い取って事業化してきたから、東京都は将来管理者は狛江市だと認識していたという。
そういう公園を作るのに、都市計画変更もしなければ時々の市政が予算化して【補助金なども利用したとはいえ】事業をしてきたのだ。
しかし、この地に「4年でやります!」と言って「防災機能を備えた都立公園を作る」と高橋市長が就任した。
そして昨年の7月、突然に都立公園誘致構想案なるものの住民説明会やシンポジウムを開催。多くの住民が住んでいる地域を都立公園としてと都市計画決定してから、まずは水道局や防衛省共済会のスポーツ施設等から公園にして、多摩川の土手や河川敷も一体となった公園、土管置き場は1階に、グランドは2階にというのもいいね、という内容なのだ。
当然、地元住民からは反発が起こる。
市は、それらの反対や疑問、もっと丁寧に協議をという声をよそに、何十年100年以上かかるかわからない、強制的な立ち退きはない、をキーワードに町会も巻き込んで市長を囲む会開催などで、説得しようとした。
表向きは黙った住民ではあるが、が、しかし、
このほど「巨大公園を考える愛郷の会」という地元の団体が署名630必あまりを添えて、東京都と狛江市に「計画の白紙撤回」「水道局と防衛省スポーツ施設などを災害時に狛江市民が使えるように取り計らってほしい」という要望を提出した。
実はその仲立ちを頼まれて東京都の建設局と都市整備局の担当に電話連絡をして、狛江市民が要望を提出したいと申しておりついては日時を設定してほしいと何度も電話を掛けたが、東京都は頑として受け取れないの一点張り。理由は、将来管理者は狛江市と認識している。狛江市と協議はしていないないし、これから対応する状態なのだからそのお構想に対する要望は受け取れない、とのこと。
私はあきらめて住民に経過を説明。すると、数週間して住民たち「愛郷の会」は東京都と狛江市に提出してきたという。住民パワーは素晴らしい!!
さらに東京都は、住民の住んでいるところを緑地から外してほしいという要望ならば、そうするかどうかは別だが、受け取ることはできるという。要するに70年前の都市計画決定。変更は可能というのが建前だ。
ということは狛江市が構想を作る際、住民の土地は入れないという案も可能であったはずだ。住民に知らせず、黙って固まった案を提示してほとんど変えないというやり方。お上のやり方は変わっていないと住民たちは失望する。
一方明らかになったことは、高橋市長が自分の公約を履行するために、構想策定と東京都への提出を急いだことが、庁内検討委員会の議事録を情報公開してもらって分かった。
和泉多摩川緑地都立公園誘致推進構想検討庁内委員会を作り、緑地指定から都立公園という都市計画変更をする、その協議の途に就くことで公約実現といえる、との判断であると参与の答弁であった。
住民の反対をよそに、自分の公約実現だけを志向しているといえ、断固糾弾の対象と言える。
まず東京都も都市計画変更しなくても公園は出来るといっている。
しかし、高橋市長はそれでは公園は出来ないといっている。
都市計画変更しなくては将来が担保できないということだろうが、それでは、なぜ住民が住んでいる地域も入れて都市計画変更してしまうのか?が説明されていない。