2月7日、2年ぶりに手をつなぐ親の会の新年交流会に参加。
数年前、和泉多摩川駅南口のぽかぽか広場に高橋元市長が5階建ての障がい者の就労支援施設と、地域交流施設、自立支援の施設の3施設の複合施設を足立邦栄会という一法人に委託して建設するという。そういうことを強行したので、いろいろ問題を抱えた土地であったことから、近隣マンションからは提訴されていた。その、高橋元市長に感謝状を出したのは、ちょっと私的には疑問だったが、今年は民生委員の方々に感謝状を贈呈していたのが印象的だった。
恒例の市議会議員1分スピーチのお題は「あなたにとって平成の30年とは」であった。
様々なスピーチがされたが、鈴木悦夫議員の「平成の30年間、私は議員だったけれども、半分は与党で半分は野党でした、子どもを育てながら30年でした」というのは明確で笑いを誘っていた。
石井功議員の「平成の30年、バブルがはじけた後の最初の10年はサラリーマンで売り上げをあげるのに大変だった、つぎの10年は自分で会社をつくったがこれも売り上げをあげるのが大変だった、最後の10年は議員として活動した」も実感がこもっていた。
私は「19世紀、人間は美しいものをいっぱい作り出した、20世紀はそれをすべて破壊した、では21世紀?平成が20年間入っているけれども、バブルがはじけた後の、方向性を探る、大変な時代だったけれども、共生社会を作って行こうということは明確になってきている、これからも共生社会をともに作って行きたいですね」というようなことを話させていただいた。
19世紀は、これは主にヨーロッパの話、特にフランスのベルエポックと言われる時代で幕開け。市民の時代が幕開けしたのだ。ロマン主義や美しい音楽、シンフォニーなどが生まれたし、暮らしも便利になり、しかし、20世紀は戦争の世紀でもあり、19世紀の否定の時代というわけで、私的には、まあそうなんだろうとうなずける。政治的には発達した資本主義に対して、ロシア革命がおこり、スターリン主義をはじめとして、官僚的な社会主義となる。ワイマール憲法を生み出した19世紀の市民革命はことごとく敗退して、国家主義的な体制がしかれ、ナチスドイツの国家社会主義が君臨する。ナチスドイツヒトラーによって住民投票や、全権委任法によって、ワイマール憲法は骨抜きにされていった。雑駁に言ってそうだ。
日本とヨーロッパはだいぶ違っているかもしれない。
しかし、平成の30年間は、成長経済に陰りが見え、これからの減速経済における共生社会の構築がカギ。政治的にも、新たに市民の政治や住民自治が叫ばれる時代となった。