ケンゴさんのご意見の基本にある「今の世の中もっと、子どもの立場に立って考えるべき、子どもは弱い存在」はそのとおりと思います。
こどもやお年よりや、少しフライングしますが、「都市の自然」も弱いです。
猪方駒井の子段道路整備の設計がえを市に要望したとき、
ある環境整備の建築家から学んだことですが、
「今、都市の自然がよわいものになっている、だから自然にやさしいものは人間にもやさしいものだ」です。
弱いというのは、自分の要望とかを大きな声でいえないということもあります。
動物が環境訴訟の原告になれるかを問う、裁判所の判断がありますが、(日本ではだめ)
福祉の話に戻していいですか。
「与える・施す」福祉から「サービスを選ぶ」福祉へと福利の理念が転換され、このことは理念としてはよいことですが、現実は決して十分に展開されていない現状があります。
サービスを多様化するといって民間へ委託してしまうとか、
施設から地域へという掛け声のもと、地域での受け入れサービスが出来ていないのに
施設を縮小してしまうとかです。
都知事選挙で、浅野史郎候補は、共産党さんから「福祉の浅野というけれど宮城の福祉を壊した」と批判されました。このあたりの理念の変化を先駆けて実践したところで負の面から
の批判なのだと理解します。
与える・施す福祉からもうひとつ変化した理念は、「自立支援」です。
高齢の方などは別ですが、障害のある方も含めて、「自立」「職業をもって生きる」ことを支援してこそ福祉だという考え方です。
昨年障害者の自立支援法が施行され、批判されています。これも理念はよいが現実が十分でない、あるいは拙速、の典型です。
私は50歳で市議選に次点落選後、フルタイム勤務を3年し、働くことを身をもって見直しました。働いて収入を得ルことがやはり自立の基本だということです。
本人の立場に立った自立支援が大切です。働きすぎるのもよくないし、一律自立就労しなさいもよくないです。
日本の生活保護は入り口が狭く、出口がないといわれています。
申請をさせない、認定も3割、その代わり生活保護を受けたら、なにか世の中のダメ人間みたいな目で見られ、意欲もなくなり、精神的につらいという声を聞きました。
すべての事例ではないですが、生活保護を受給している方の意欲がないという担当の声も聞きました。
自立就労を促す、支援する、就労先を探すことも含め、大変難しい仕事です。
生活支援と自立就労支援の両輪が福祉といえます。重ねて書きますが、就労支援は領域が広がり(障がいのある方、ホームレス、就労支援法のできたシングルマザー、最近では若者の親との依存を断ち切るための生保そして自立支援があります)、それぞれに大変むずかしいしごとであると認識します。
子どものことですが、女性に自立就労支援を促すことで、子どもが苦労するようではなさけない社会といわなくてはなりません。
保育園楽しかったと卒園のとき言ってもらえる保育園にしたいのは切実に感じます。
そのような保育園にすることを私の仕事としたいと思います。
また、学童の放課後受け入れの充実、小学校施設に学童を統合するにしても、生活スペースを確保したいと思います。学童の運営を市民協働でと考えています。
ティーンも忘れたくありません。ティーンが集える児童館を!長期休暇時の異年齢・異文化交流事業とチャイルドラインの設置は必ず取り組みます。