毎年、日比谷公会堂で行われる憲法集会に参加しているが、
夕方から多摩地域でぬきさしならない用事があり、地のりも考えて
立川市で開催された憲法集会に参加した。
「当たり前に生きられる社会を-危機に立つ平和的生存権」
主催市民のひろば・憲法の会
旧立川中央公民館、現立川市柴崎学習館ホールにて開催。
会場は300人定員ぐらいの多目的なホール
いす席がほぼ埋まる状態で250人は参加していたのではないか。
会場の後方には、資料や講演者著書、環境関係の書籍販売、
無料のお茶、
憲法九条サブレなどが販売されていた。
ホールの外では軽食喫茶が準備され、カレーなど。
平和フェスティバルのような雰囲気だった。
初めは3人の若者からの報告、
立川反戦ビラの被告
ワーキングプアといわれる若者
官製ワーキングプア(福祉事務所の嘱託)の話
野宿者からアパートへ報告
など(この間は聞けず)
基調講演は
あの自動車絶望工場の著者 鎌田慧さん。
蒲田さんの話で印象に残っているものひとつが、以下のことだ。
かつて、自動車絶望工場を書いたとき、季節工は底辺労働者だった。
今ではむしろエリート。
その下に、派遣工がいる。
昔の季節工は寮費などはただだった、風呂も入れたし、食事も食堂で安く食べられた。
今の派遣労働者は6万円の家賃も取られる。3人から6万とって、
10万円のアパートに入れ、8万円をピンはねするところもある。
現在大手の自動車工場が派遣の問題点を意識して
直接雇用にすると云っているが、実はそれが季節工だ、とのこと。
1985年の労働者派遣法が成立以来徐々に底辺の労働者がふえるような
法制度になっていたとのことだ。
派遣業売り上げは今では10兆円になろうとしている。
グッドウィルの経営者が
「派遣業は人材派遣業というより情報産業である」といったそうだ。
携帯電話で仕事を回し、若者が集まってくる。
仕事情報を流しさえすればよい業種になっているのだろうか。
そんな形でしか働けない特に若者に未来をかんじる余裕や力は残っていないのではないか?
また、蒲田さんは外国人労働者の研修制度が、新たな形の最悪の派遣業だとも。
10万人の不定期雇用に、さらに10万人の外国人研修労働者がいるそうだ。
本国のブローカーに100万円払ってくる彼らは、日本で最低賃金以下で働かされ、
雇用主とのトラブルで日本のブローカーに本国に返されそうになり、
あせる気持ちが逃亡や殺人などの
犯罪に発展しているとのことだった。
また、別の資料によると
労働組合の組織率が30%きったのが1983年、
連合が発足したのが、1989年なのだ。
そして、バブル期のしゅうえんが1993年。
日本の浅き夢みし、は完全に目覚めざるを得ない状態に突入した。
それから、15年。
特別会計改革も公共事業の見直しも訴えてきたが、
労働者の問題、働くことの問題は各方面が取り組むと共に
やはり、当事者たちである私たちが声を出していかなければ良くはならないと思う。
憲法9条も危ない、
そして、25条の生存権も活かされていない日本の実態を実感した一日だった。