現在狛江市の基本構想は市民参加の策定委員会の最終答申が出て、それ尾w行政が文言修正をして、この9月議会に議案として提案されている。策定委員の方たちはその後も基本計画の市民委員となって議論に参加している。
学識経験者など専門分野をお持ちの委員8めいと4名の市民委員は上程された基本構想に十分満足しているのだろうか。
否である。まったく時間不足、資料不足、議論不足との感想をもっておられると思う。赤字修正
私は、皆勤ではないが、その審議委員会を傍聴してきたので、向こう20年(10年でよいという意見もある)の狛江市政のおおきな指針を決めるのに、行政が用意した時間はあまりに短く、方や議会は、審議会がまとめた構想を受けて検討するにも時間がないような事態が見越された。
それで、早くから議会も基本構想づくりにかかわったほうがよい、(少なくとも今までの基本構想やそれを下に作られる基本計画の達成度や評価を検証、構想作りに先立って行われた市民意識調査の検証をしたり、現在の分権改革についての勉強会ぐらいしておくべきだ)ということで、基本構想検討特別委員会を作るべきだと主張してきた。
しかし、狛江市議会はあいかわらず「会派主義」。
議員同士の自由討議である議論を嫌う。
すべては会派で検討するから、基本構想が行政から提案されてから検討するの一点張り。
そして、提案されたら、これも、会派で検討するから全会派が入っている総務文教委員会で検討すればよい
と8人の委員会に付託を決めてしまった。
一般質問が終わってから、やおら、基本構想とやらに目を通せば、ムムッ!何じゃこれは、議会にとっては大事な課題(あくまで議会にとって・・)となったのではなかろうか?と想像したくなるぐらい、基本構想の審議に入った総務文教委員会はしょっぱなから紛糾。でも、もう時間がないのよ・・・どうするつもり?と傍聴している私のほうは審議内容よりも
やおら始まった議論で、基本構想の計画期間は20年では長すぎるなどの議論に目いっぱい時間をかけてる委員会の行く末が心配になるほどだった。
さすが天下の国立大学で国費を使って学んできた新人議員は理路整然としているなあ・・と感心したり、あいかわらず、民主の重鎮は同じことを3j回か4回話してしまって時間くうなあ・・とか、公明の緻密な一般質問をする新人議員は、にくいところを突いてくるなあ、共産党は部長答弁の補完をしてるなあなどなど、途中、母の介護で退席したりで細切れ傍聴だったが、表向きはひょうきんに聞いていたのだ。
しかし、時間が経つにつれ、なんともこらえきれないほど腹が立ってきた。
このまま行けば、どうしたって否決だ。だとしたら、議会としてどこで責任ある議論をして議会としての基本構想をまとめられるのだろうか?継続審議とするにしても、何をどれだけまとまられるということを見越して継続にするのか!?今となっては、市民に対して責任ある議論の結果の構想を出すことができるのだろうか?
市民に対しての責任・・。この人たちは本当にこのことを感じているのだろうかという疑問が湧き上がってきたのだ。
そして、彼らの多くは、自分たちの賢い視点を披露しているだけ、なんとも、人間性の欠如した姿としてししかどうやっても感じられなくなった。
ヒューマニティーの欠如した議員たち。
狛江市にとって一番大切な基本構想を(市民が何時間もかけて議論してきた構想を・・・だからといって批判してはいけないとは決して言わないが・・)審議しているのは私たちという驕った態度が感じられて仕方がない。
本人たちは決してそんなつもりはないだろうが、そういわれても仕方がないのではないか?
大げさにいえば、自治体の仕事は「命」をまもるものだ。市民の命や暮らしを守る自治体の向こう何十年の基本構想を決めるという大事な仕事を、木で鼻をくくったようにたかをくくって、一常任委員会に付託して、しかも、定例議会の一般質問が終了してから審議に入ると一週間しかない。のに、やおら一委員会で市政全体の構想を審議するとした狛江市議会の自治体の仕事の重みへの認識の欠如。
大事な構想だから時間が必要だから、少しでも早く市民の審議委員会と平行して議会としても取り組むべきだったのに。
【
議会事務局は、「今日は夜中までやるんじゃないですか?」と言っていた。
どういうことかというと、なんとしても議論が紛糾しても最後は今月28日の本会議採決に間に合わせるのだという申し合わせのようなものが、ありありと感じられた、この時点ではね。】
そんなことはまったく論外で、
平気な顔をして自分の気が付いたことをただ大上段に、あるいは、賢そうに指摘し続ける一部の委員ではあるが会派主義をよしとする「総務文教委員会」の委員たち。
どうしても彼らには嫌悪感を感じてしまった。
市民としても許せるものではない。